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国立の名所 谷保天満宮

国立市街地の南、JR南武線、旧甲州街道の南側に、亀戸天神、湯島天神と並んで関東三大天神と呼ばれている谷保天満宮(谷保天神)があります。

谷保天満宮 豆知識

谷保天満宮の始まり

谷保天満宮の創建は、延喜3年(903年)2月に菅原道真が亡くなった際に、三男・道武が、父道真の像を刻んで御神体とし廟を建てたことによると言われ、東日本では最古の天満宮です。

 

「野暮(やぼ)」の語源?

谷保天満宮の「谷保(やほ)」は、この辺りの地名の谷保(やほ)によるのですが、元々の地名は「やほ」ではなく「やぼ」でした。
(JR南武線(当時は南武鉄道)の谷保(やほ)駅の開設後、地名まで「やほ」になったそうです。)

 

「粋(いき)」の反対の「野暮(やぼ)」「野暮天(やぼてん)。この言葉に谷保天満宮が関係しているという説があります。

 

その昔、地名が「やぼ」で、谷保天神がまだ「やぼてんじん」と呼ばれていた江戸時代、御神体が江戸で開帳されました。

 

しかし御神体は上に書きましたように、菅原道真の三男・道武が彫ったものです。道武は彫刻に関しては素人だったため、その御神体の出来は今ひとつだったようで、見せないほうが良かったのではとも言われました。

 

当時の著名な狂歌師の大田蜀山人(南畝)に、

 

「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」

 

と詠まれ、そのあたりから「野暮」、「野暮天」という言葉ができたという説があります。
本当でしょうか?

 

交通安全発祥の地

1908年(明治41年)8月1日、有栖川宮威仁親王の運転する国産ガソリン自動車「タクリー号」3台など11台が隊列を組んで、日本初のドライブツアーが、谷保天満宮を目的地として開催されました。

 

宮様御一行は、拝殿への昇殿参拝、天満宮内梅林での昼食会などの後、故障や事故もなく無事に東京に戻られました。今でも梅林には記念碑が建っています。

 

この事跡から、谷保天満宮は交通安全発祥の地とされています。

国立 くにたち